DATE 2009. 3.26 NO .



 子供達の笑い声を聞きながら、彼は腰をおろした。
 そして、随分と逞しくなった幹に背を預ける。

 見上げた視界は鮮やかに染まる――彼の大切な桜は今まさに満開を迎え、見事な花を咲かせていた。
 彼も子供達も、そう頻繁にここまで来られるわけではない。
 それでもこの木は毎年、重ねた時間の分だけ枝葉をのばし、花ひらく季節には彼や彼の家族を楽しませてきた――

 突風が、彼の意識を子供達の方へと引き戻した。

「お…っと」

 強い風に晒されて、花弁がふわりと舞い上がる。
 花が散るにはまだ、早い。

「全く……子供の成長ってのは早いもんだな」

 彼はそう呟くと印を結び、少し離れたところにいる少年に気づかれないように、その風を木から逸らした。
 そしてまた、子供達を見やる。

 二人は今、「遊んで」いる。
 けれど遠くから見ていると、それは互いに慣れた者同士の手合わせと大差ない。
 こうやって少し近づけば、黒魔法と忍術の激しいぶつかり合いと楽しそうな笑い声のギャップに驚かされるのだが。

 彼は、少女が手加減をしている事を知っている。
 対して少年は、常に全力だ。けれど彼が知る限り、少女に勝てた事はない。

 彼はそれでいいと思っている。
 敗北を受け止めて強くなれ、と。

 ただそれだけを、願っている。






 やがて子供達は「遊び」をやめ、彼の元へと駆け寄ってくる。
 今回も少年が押し負けてばかりだった。
 けれど、吹き飛ばされたりする事はなくなった。

 ひとしきり話し終わると、少女はまた元気よく走って行ってしまった。
 野の花で花冠をつくって持って帰る、と朗らかに笑って。
 一人でつくれるのか、と彼が訊く暇もなかった。

 そんな考えを見通したかのように、傍に残った少年が彼に答えを与えた。

「母上に教わったからつくってみたいんだ、って言ってました」

「そうか」

 行儀作法を身につける合間にそんな事まで教えていたのか、と考えると、彼の口元は自然と綻んだ。
 対して少年は、じっと少女のいる方を見つめたままだ。

 彼が座るように促すと、少年はようやく腰をおろし、父たる彼に視線を向けた。

「……また負けてしまいました」

 少しだけ悔しそうな少年の髪を、彼はくしゃくしゃとかきまわす。

「次勝つためにはどうすればいいのか、考えてみるんだ。今は手が届かなくても、今日出来る事は必ずある――いいな?」

「はいっ……城に戻ったら、ツキノワに少し付き合ってもらってもいいですか?」

 思わず彼は目を瞠る。
 風の制御が出来ていなかった事を、きちんと自分で把握しているのだろうか?

「いいぞ。質問攻めにして困らせてやれ」

 少年がくすくす笑うのを聞きながら彼も、さっきとは違う笑みを浮かべた。
 目の前の息子は、前を見てまっすぐ進もうとしている。
 時には自分の力で、時には誰かの支えを得て。

「それにしても……やけに忍術にこだわるな」

 エブラーナに伝わる、戦うための術。
 一度は自分の世代で絶つべきかとも考えた。
 それでも、と主君たる彼に食い下がった者達がいた。

 まだ満足に刀を扱える身長もない少年の忍術への姿勢に、彼は既視感を覚える。

「何故だ?」

 そしてまた、懐かしさを。
 自身の幼かった頃、若かった頃。
 何を想って、過ごしていただろうか。

「もちろんいつかは勝ちたいからだけれど――今は、クオレにもっと笑顔でいて欲しいから」

 もっと笑顔でいて欲しいから。
 ――今のまま笑顔でいて欲しかったから。

 彼は、少年が「大人」になるであろう時に、想いを馳せる。

「……子供っぽいですか?」

「子供でいい――それに、王様ってのは少々夢見がちな方がいいらしいぞ」

「夢……?」

「そう、王が夢を見られない国では民も幸せになれない、ってな――大切なものをもう見つけたお前なら、大丈夫だ」

 彼は立ち上がる。つられて少年も、立ち上がった。

「この山桜は、母上と植えた大切な木だ」

「はい、知っています」

「大切だからこそ、出来る限りの事をしたいと思った――」

 満開の桜ではなく父親を見上げていた少年は、その唇が微かに動いた事に気づく。
「――けれど愛しすぎてしまって、自分でいとしい花を枯らす事になるかもしれないと恐れた」
 だがまだ未熟な少年には、言葉としての音は拾えなかった。

「いつも傍で水をやれるわけじゃない。大事な事はあと回しになんてするんじゃないぞ?」

 彼は少年を見やった。
 少年は、黙っている。

 まだ難しかったか、と彼が思った、その時だった。

「父上」

「どうした?」

 少年は、まだ細い両腕を広げ、大きな桜を振り仰ぐ。

「木というのは逞しいものです。現にいつも傍にいて世話をしなくても、こうしてこの桜は立派に満開を迎えています」

 彼はそんな少年を、ただ呆然と見つめていた。

「雨から、大地から。水を吸い上げて、どんどん大きくなって……今度は僕達がこうしてお世話になっています。だから、心配しなくても大丈夫です!」

 二人を呼ぶ少女の声が、近づいてくる。

「……でも、やっぱりちゃんと水をあげた方が気持ちも伝わっていいのかな……」

「そうだな」

 彼は、息子を力強く抱きしめた。

「――だからこそ、こうしてお前に会えたんだ……!」












 拗ねてしまった少女と戸惑ったままの少年を腕の中に収め、彼は幹にもたれて深く息をつく。

「知ってるかー? 幹に耳を近づけると、木から音が聞こえるらしいぞー」

「え?」「ほんとに?」

 幼い子供達は、たちまち瞳を輝かせて彼の腕の中から飛び出していく。
 首だけ動かして、彼は子供達の様子を眺めていた。

「どうだ?」

「聞こえるよ!」「これ、何の音かな…?」

 幹に耳を寄せていた二人だが、やがて顔をあげ、揃って悪戯っぽく笑う。

「僕達も知ってるよね、父上が知らない事」「絶対知らないよね」

「何だ何だ、二人して。もったいぶらないで言ってみたらどうだ?」

 いつの間にか機嫌を直した少女は、笑顔で桜を指差した。

「この木の花言葉!」












「――今頃あの子達は、羽を伸ばして遊んでいるかな」

 窓の向こうの景色を見つめながら、彼女は楽しそうに微笑む。

「エッジは……たまにはゆっくり休んでいるといいんだけど」

 求める姿がそこから見えるわけではなかったけれど、彼女は充分満足していた。

 遠出はあまり出来なくなった。
 けれど家族が増えた。
 三番目の故郷は、今日も平和。
 彼女の大切な人は、忙しい中でも太陽のような笑顔を絶やさない。

 桜の簪を手に、彼女はあの木の下にいるであろう彼らを想う。






 こうして部屋にひとりでいても、賑やかな声が聞こえてくるような気がした。





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